2001年05月14日「僕は、涙の出ない目で泣いた。」 「イギリスでアンティークを買う」「石橋を叩けば渡れない」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「僕は、涙の出ない目で泣いた。」

 川畠成道著 扶桑社 1300円

 著者は若きバイオリニストです。
 いま、彼のCDアルバム「歌の翼に」「アヴェ・マリア」は売れに売れていますね。わたしも持ってますけど、これは最高。
 ヴァイオリンはわが家でもやってるのがいるんで、少しかじらせてもらったことがありますが、わたしが弾くとノコギリそのものです。とんでもない音しか出ません。
 ところが著者は10歳のとき、はじめて持った瞬間から筋がいいのか、様になっていたといいます。

 著者は桐朋学園から英国王立音楽院に入学します。
 この学校がどれくらいすごいかというと、百数名の会員にはメンデルスゾーン、フランツ・リスト、リヒャルト・シュトラウスなどの音楽家が名を連ねてるんですね。卒業試験は演奏一回のみ。これがたくさん落ちるんです。そして落ちると落第はなし。放校処分になっちゃうんですね。
 実際、演奏会で失敗したらやり直しが効きませんもね。それを試験でも取り入れているだけなんです。
 それだけ厳しい学校を奨学生として学費、生活費を英国に負担してもらい、そのうえ、首席で卒業します。大したもんですねぇ。
 
 さて、本のタイトルにもありますが、著者は目が不自由です。まったく見えません。
 8歳の時、祖父母に連れられてアメリカに旅行しました。そのとき、寒気がすると日本から持ってきた風邪薬を投薬。ホテルで往診してもらうと「風邪」との診断。それで、また投薬。ところが、いっこうに治まらない。それでまたまたクリニックで診察してもらうと、これが手に負えない病気と判明。とにかく風邪ではないという診断を受けます。
 そこでUCLAに入院。「スティーブンソン・ジョンソン・シンドローム」という病気だったそうです。
 これは薬害が原因で生死をさまようほどの病気なんですね。薬は怖いです。
 身体中に斑点が出て、皮がむけ、ほとんど因幡の白ウサギ状態だったといいます。病気は何とか治りますが、副作用として失明してしまったんですね。

 両親は目が治らないことを前提に、彼の将来に向けて何かをさせようと考えます。
 まず浮かんだのは将棋の棋士。けれども、これは近所に指導者がいない。ならば、父親がヴァイオリンの先生だから、これをやらせてみたらと考えます。
 それが小学校4年の1月。10歳のときですね。10歳から楽器の勉強をする、というのは少し遅いですね。とくにプロになろうというなら、3〜4歳が普通です。
 でも、しょうがありません。父親は本気です。彼の小さな弟たちを呼び寄せてこう言うんですね。
 「お父さんは。これから成道に徹底的にヴァイオリンを教えなければならない。お前たちはちょっと悲しい思いをするかもしれないけど、お父さんの気持ちをわかってほしい」
 それから平日は1日8時間、休日は最低10時間のレッスンがはじまります。まさに星一徹ですよ。違うところは、父親は外では生徒に教え、家ではわが子に教えという、たいへんな重労働だということです。やっぱり、愛情がエネルギーになったんですね。

 「目がよければ、いちいち暗譜をしなくてもすむ。けど、それをいってもはじまらない。それに、目のいい人でもやがては曲を暗記しなければならないんだ」
 著者は自分を励まして練習をします。たしかにテンポの早い曲を演奏するときはいちいち譜面など見ていられないでしょう。でも、初見で演奏したり、練習したりするときは譜面が見える見えないということはものすごく大きいことですよ。
 だから、彼は交響楽団で演奏することを諦めていました。最初から、ソリストしかないと考えていたんです。
 これはものすごくハードルが高いんです。いま、日本でもソリストとして飯が食べられる音楽家が何人いますか?
 でも彼は挑戦し、そして実現させるんですね。
 学校卒業後、彼は日本はもとより世界のあちこちで演奏をしています。ソロもしますし、交響楽団との演奏もありますよ。

 「音楽の才能があるかどうかわからないけど、とにかく夢中だった」
 夢中になれることこそ才能ですよ。彼にそう教えられました。
 200円高。


2 「イギリスでアンティークを買う」

 小関由美著 新潮OH!文庫 562円

 これ、文庫なんですけど、元々NTT出版で出してるんですねぇ。まったく違和感がありすぎて、ちーとも知りませんでした。
 やっぱり、本というのは内容、タイトル、版元、装丁に違和感があると売れませんね。
 これはピッタシですから、売れるでしょう。

 「アンティーク」というと、この不況下でも日本ではちょっとしたブームです。といっても、値段はものすごく下がってますね。
 わたしのところには版画や絵画、書などがいくつかあるんですが、近くの骨董屋さんはそれを見るたびに、「これ売ってもね、そうだなぁ・・・50分の1ってとこかな。だから売っちゃダメよ。そのうち、日本の景気が戻ったらまた上がるからね」とのこと。
 べつに売る気はありません。でも、彼らはいまほど買うのにいい時期はないって言ってますね。もう投げ売りだから、いまのうちに仕込んでいるんですね。

 イギリスは徹底的に古いものをリサイクルして使うお国柄ですから、アンティークはむかしから人気があります。だから、日本のテレビが真似したBBC放送の「アンティーク・ロードショー」は人気があります。日本流に言えば、「お宝鑑定団」でしょうね。

 さて、本書は95年11月の取材をもとにまとめられています。ですから、ちょっと状況がいまとは変わっています。
 たとえば、当時、イギリスはそんなに景気が良くありませんでしたから、あちこちでアンティークフェアがありました。まっ、フリーマーケットのようなものでしょう。ところが、翌年春には景気回復のおかげでブーム再燃。
 そこで目ざとい業者は値を釣り上げようと売れ筋商品を隠しちゃったんです。
 どこも商人というのはやることが同じですね。買い占めってやつです。なんと、半年で値段が倍になったんですよ。それでも飛ぶように売れたんです。
 それに、いまやどこに行っても日本人バイヤーに会うとのこと。

 著者は元々フリーライター。「わたしの旅は風光明媚など二の次、三の次。物欲食欲の旅」と言ってますが、これはわたしも一緒。いいですねえ。わたしは旅行先で気に入ったところがあると、そこを動きません。仲間との旅行でも、「スケジュール通り、先に行ってていいよ。あとは空港で会いましょう」が少なくありません。

 著者は趣味と実益をかねて、アンティーク漁りをしますが、「地球の歩き方アンティーク版」といえるほど詳しく紹介しています。
 たとえば、「カムデン通り」は高価なおもちゃだけ、時計だけ、ぬいぐるみだけ・・・といったように、「これしか扱わない」という専門アンティークショップの通り。
 グリニッジは穴場。50年代、60年代のアンティークが目白押し。バーモンジーは高額商品が多い。イギリスが輝いていたヴィクトリア朝時代の家具、絵画、装飾品がたくさんある。
 コペントガーデンは日本で言えば代官山。アクセサリー、食器、ガラスなど小物が多い。
 そのほかにも、たくさんの通りを紹介してるし、地方の情報も満載してるんだけど、いちばんいいのは、この本を通じてイギリスの文化や人の匂いが伝わってくること。さすがに食いしん坊というだけあって、食べ物の説明をさせたら天下一品。
 「まずい」と評判のイギリス料理もうまく感じます。それに、この人はホントに美味しいところしか行ってない。イギリス料理の汚名返上にも貢献してる。 いずれにしても、カンタベリーに行ってみたくなりました。
 100円高。


3 「石橋を叩けば渡れない」
 西堀栄三郎著 生産性出版 1600円

 これは古典的名著です。ちょっと仕事の関係で読まなくちゃいけなくなりまして、書庫から引っ張り出してみたんですが、さすがにいいですね。目からウロコでした。
 西堀さんというと、いろんな顔を持った人です。たとえば、京大の先生から東芝に行って真空管の研究をしたり、QC(品質管理)の世界ではデミング賞受賞者。そして全国の企業を教育指導して歩いた神様のような人ですし、登山家としてもチョモランマ登山隊の隊長を務めた人です。
 で、この本はいろんな顔の中から「第一次南極越冬隊隊長」としての体験談を綴ったものです。痛快で面白く読みながらも、マネジメントについてものすごく教訓になるエピソードが満載されています。

 「アイデアをものにするには、バカと大物が必要」といいます。
 明治43年(1910年)に南極探検を発想した白瀬中尉は当時、バカ扱いされました。当時の技術力、交通、生活環境から考えても当たり前です。反対するのが常識なんです。
 そのとき、たった1人の大物だけが「そりゃあ、いい考えだ」と応援してくれたおかげでこの偉業が達成されるんですが、この「大物」とは大隈重信なんです。それで、「バカ」は白瀬中尉。それで、南極に出発するとき、大隈さんははなむけの言葉としてなんと言ったか。
 「南極は暑いから身体に気をつけろ。南洋でさえあんなに暑い。もっと南の南極はよほど暑かろう」
 こちらのほうがホントのバカなんですけど、大物というのは細かい点についてはむしろ無知のほうがいいんですね。「そりゃあ、いい考えだ」の精神が大物の真髄なんです。

 さて、西堀さんは第1回の南極越冬隊隊長として、十数名の隊員を指揮します。
 それでいろんな創造力を隊員に要求するんですが、彼の持論は「知恵は切迫感と知識が結びつかないと生まれない」というものでした。
 たとえば、「電気をおこす」というテーマがあるとしましょう。
 南極でも電気がなければ暮らせませんね。そこで担当を決めます。「忍術でもいいから、電気をおこせ」と西堀さんは厳命するんです。

 すると、発電機を使えばいい。これには石油がいる。石油はどこだ。ドラム缶に入っている。しかし、これは重たい。それでだれかに手伝ってもらおうとする。そのためには、風呂番のときに三助をして機嫌を取ってだれかに手伝ってもらう必要がある。でも、日が経つと近くのドラム缶の石油を使い果たし、かなり遠くの石油を運ばないといけなくなる。こうなると、きつい。雪嵐のときなどは命懸けになる。
 そこで知恵を絞らなければならなくなる。さて、どうするか?
 
 それが切迫感と知識が出会う瞬間なんですね。
 石油はドラム缶で運ばなければならない。これは過去の習慣です。欲しいのはドラム缶ではなく石油。これがことの本質。石油が発電室に入ってくればいいわけでしょ。
 となると、「あっ、パイプがあればいい」とアイデアが出てきました。
 「でも、パイプなんかここにはないよ」という反対者が出てくる。これを押さえて、アイデアをものにしてやる。つまり、育てる心が重要になるわけですね。
 それはどうしてやるかといえば、アイデアなどろくすっぽ聞かないうちに「そりゃあ、いい考えだ、と言ってしまうことだ」というんです。誉めているのとは違います。そう言った手前、自分が反対者にはなれない。それで育てるほうに自然と回ることになる。

 「隊長、そんなこと言ったって、パイプなんてありませんよ」
 「そりゃあ、そうだ。持ってきてないもの。でも、何かで作ればいいんだろ」
 「でも、そんな材料なんてありませんよ」
 「そりゃあ、内地でパイプをこしらえるのと同じ発想だから材料がないんだよ。南極に来たら、南極にふさわしい材料を考えたらいい」
 「氷のパイプじゃ、途中で折れますよ。隊長は油の一滴は血の一滴だから気をつけろ、って言ってるじゃないですか」
 「何も折れるパイプを作れとは言ってない。折れるということは、中に強いものが入っていないからだろう。繊維か何かが入っていれば強くなるんじゃないか。昭和基地に何かいらない繊維はないのか。フンドシでもなんでもいいぞ」
 「包帯なら、山のようにあります」
 「そりゃあ、いい考えだ」

 すぐに隊員が取りに行く。短い真ちゅうのパイプが一本あった。
 そのパイプに包帯を濡らして巻く、巻いては凍らせていく。凍らせては巻き、濡らしては巻き、凍らしては巻きとしていくと、氷と繊維が一緒になったのがだんだん太くなっていく。
 真ちゅうは一本しかないから何度も使わなければなりません。だから、中へお湯をザァッと流してズバーッと抜く。これで一丁上がり。この要領で何本も作る。これらを並べて、あとはツバをぺちゃぺちゃつけると接着剤のようにピタッと付いてしまう。
 これでとうとう石油が通ります。氷は水だから油とは混じらない。おまけに南極では温度は絶対に零度以上にはならない。だから、氷は溶けない。石油はどんどん流れていきます。
 「なせばなる」というのは暴言でも無茶でもないんですね。
 というわけで、150円高。